1879年の公開実験で世間の評判を勝ち得たとはいえ、2日間で切れてしまう電球では実用にならない。研究開発の歴史上初めてといわれる組織的な材料探しが始まった。全世界に20人の所員が派遣され、6000種以上の物質が試されたといわれる。そして、1880年に日本の京都八幡村の竹がもっとも適した材料であることを見つける。一方向に繊維が密に並んだ京都の竹は、それから10年にわたって使われた。東京大学工学部電気工学科には、1919(大正7)年のフィラメントの素材である京都八幡産の竹ひごが保管されているが、その太さは0・26ミリ、太さのばらつきはO・1ミリ以内という非常に精度が高いものである。エジソンは、ガス灯とガス中央供給システムを徹底的に調べ、利用できるところは徹底的に模倣した。アーク灯のように大きく明るすぎるのではなく、ガス灯のように小さくまぶしくない明るさで、寿命が長いこと。ガス灯のように明かりが簡単に調節でき、しかも、明かりがどこにでも簡単に設置できること。そのためにはガスのように電気が中央でつくられ、そこから各家庭に配線されていることが必要であった。そのために、彼は炭素フィラメント電球の開発と並行して発電機の研究を行ない、さらには発電機から電球へ電力を供給する配電方式の研究も行なった。発電所をつくり、配電所をつくり、電力事業と配電事業をも開始する。100ボルトの一定電圧を保つようにしたのもエジソンであった。電気分解の原理によって電気をどのくらい使ったかを測る「積算電力計」をつくり、ガス灯システムを徹底的に模倣した電灯川のランプ・ソケットからスイッチなどの付属品までもつくりだした。しかもアメリカでは標準であったインチ規格ではなく、国際規格であるメートル法を採用したのであるから、彼の国際性、先見性はすごいものだ。