「お歯黒」の習慣

2011.03.31

兜からのぞいた口元が黒かったため、「源氏にはお歯黒をつけた人はいない。平家の公達でいらっしゃるに違いない」とバレてしまい、討ち死にしてしまう。ふつうの武士はお歯黒などしなかったが、平家のお偉いさんたちは、宮廷風に男もお歯黒をしていたのだ。清盛の甥でまだ十七歳の敦盛も常に化粧して、“かね黒”の“容顔まことに美麗なために、その死を同情されている。“かね黒”の“かね”は「鉄漿」と書き、鉄を酸化させた液体のこと。これで歯を黒く染める「お歯黒」の習慣が、上流社会の女性を中心に平安中期ごろに定着した。それが平安後期になると、上流社会の男性にも広まり、源平時代には平家の公達に、鎌倉時代には上流武士にも広まったが、戦国時代には終止符を打った。が、宮中や公家では江戸時代の末期まで男もお歯黒をしていたという(参考:原正三著『「お歯黒」の研究』)。手間も暇もかかるお歯黒は、例によって上流社会の特権で、お歯黒=高貴というイメージがあった。歯が黒いことがステイタスであった時代もあったのである。
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